Tagged: 継承語教育

5月 12th, 2010

ひろがる、ひろがる。

少し前のエントリーで、ちょっと書いてみたことがありました。
ニュージーランドの色んなところ、色んな街や地域で、子どもたちの継承語としての日本語維持活動をしている人やグループのネットワークが作れたらいいなあ、って。

でもなんだか、そういうことがすこし、現実味を帯びてきた感じがあります。

クイーンズタウンで参加させてもらっていた読み聞かせの会は、当時の仲間たちが今でも続けています。あちらは、もう8年ほども続いているのではないかしら?新しい子どもたちがどんどん参加してくれて、毎回20人以上もの子どもたちが集まる大所帯になっています。

ネルソンのJapanz.Kidzも、紆余曲折を経ながらも今年で4年目に入ります。

クイーンズタウンの語学学校で知り合ったMさん、ブレナムで『お母さんの会』、最近は小学生のための遊びの会を始めました。Japanz.Kidzにも、毎回2時間かけて通ってきてくれます。

ネルソンからダニーデンに引っ越して行ったJさん。4歳児を集めて日本語の会を始めたそうです。

クイーンズタウンで出会い、時を同じくしてネルソンに引っ越し、そのあとまたクイーンズタウンに戻って今はウェリントンにいる、Cさん。私のネットでの古い友人Cさんと、ウェリントンで読み聞かせの会を始めるそうです。

そして、「タズマン子ども文庫りんごのき」を始める時に200冊を超える貴重な絵本を寄付して下さった、オークランドの「にほんごえほんとしょかんinch」さん。ずっと「みちくさ」という日本語の読み聞かせと遊びの会をやっていらっしゃいましたが、今、日本語継承グループ「てとて」のトライアル中です。

このブログには、遠い遠いところからもアクセスやコメントを頂いています。
アメリカの補習校で継承語クラスを担任されている、kuriksさん。
同じニュージーランドのクライストチャーチ住まいさん、Pukekoさん、MIWAさん(その後、いかがですか?)。
地球の反対側、ベルギーにお住まいの赤かっぱさん。
オーストラリアのWaldさん。
クイーンズタウンのお友達、Yukiちゃんにみつよさん。

ささやかでも、そういうネットワークが広がっていくことが、なんだかとても嬉しいです。

ご訪問頂いた方、是非コメントを残して下さいね。
ネットワークを広げてゆくために。

11月 24th, 2009

海外で日本語・実践編・ホントのホントに最初にやること

最近、すこし、「上から目線」になってるかなーと、気になっています。
なんかコイツえらそー、って思っちゃった方、失礼しました。

海外で日本語、それも家庭をベースにした継承語としての日本語、を考える時に、考える材料としての情報があまりにも足りない、と思うことがいまだに多いのです。私自身の経験は、ささやかな一個人のさささやかな経験に他なりません。情報としての価値も、ほとんどないのかもしれません。ですが、そんなものでも、もしかしたら今、こうしてネット上で情報を探している誰かのお役にたつこともあるのかしら、と、なんだかそんな感じで、書いています。

だって、言葉って伝えてゆくものでしょ?
私が経験したことを子どもに伝えてゆく行為そのものが、言葉を醸す材料でもあり、言葉を使う理由でもある。私が経験したことをネットを通じてあなたが受け取ってくれるのならば、そしてそのことがあなたの役に立つのかもしれないのならば、それこそが、言葉が言葉として存在しうる意味、言葉たる所以のような気が、するのです。

ああまた、わけわからないこと書いちゃった。

さて。
すごく沢山の経験があるわけではないのですが、過去9年間、それなりに人に会い、ニュージーランドで育つ日本の子どもたちの色々な事例を見せていただいてきました。

バイリンガル、継承語維持の道はことのほか険しいなあ、と思ってしまうのは、やっぱり、親の意思に反した結果になってしまい、そのことを親自身が受け入れきれていない場合です。多いのは、子どもの日本語が思ったように伸びず、子どもの反抗にあったりもして、親が自分自身に言い訳しながら諦めてしまうケース。

こういう場合によく言われるのは「親子間のコミュニケーションが断絶しやすい」という、脅し文句に近いもの。だけど、そういうケースには、実は出会ったことがありません。子どもたちが日本語を話さなくなっても、それはそれで親子がきちんとつながっている例の方が、多いくらいです。

日本に住む日本人の家庭でだって、親子の断絶なんてよく起こります。
だから、このことをことさらに怖がる必要は無いのだと思います。
自分の気持ちを伝える手段は、言葉だけではありません。

でも、そうは言っても、手っ取り早い道具として言葉が使えないことの影響は、たぶん、小さくはないと思います。残念だけど、言葉ほど便利に、手軽に使えるコミュニケーションツールは、今のところ他にありません。それに、継承語教育、とは「子どもが嫌がったらやめてもいい」もの、習い事と同列に並べられるものなのでしょうか。親が諦めてしまったときに失うものは、コミュニケーションツールとしての言葉、だけでしょうか。

海外で親になったり、これから親になる予定があったりするならば、家庭内でのコミュニケーション手段としての言葉の方針は、10年、20年というスパンで持っていた方がいいのだろうな、と思います。特に、家庭内に二つ以上の言語が存在する場合、

あなたと配偶者、
あなたと子どもたち、
配偶者と子どもたち、
家族全員、
家族全員+配偶者側の家族
家族全員+あなた側の家族

など、様々な状況でのコミュニケーション手段としてどの言葉を選ぶか、周囲とある程度のコンセンサスをとっておいた方がいいのだと思います。

親が諦めてしまうことの原因の一つには『思ったように行かない』、つまり10年先のことが見えない、という事実があると思うからです。あなただけでなく、周囲の人々にとっても。

見えないものは見えないのです。だから、先々のことをやたらと不安がる必要は、ないと思います。
ただ、将来起こりうる不測の事態に対して準備出来るものは『方針』くらいしかない。それも事実です。そして『方針』さえしっかりしていれば、ひとは意外とぶれないものです。

私自身は国際結婚をしていませんし、自分が『言葉系』の人間ですから、息子と日本語で会話するのはあまりにも自然なことでした。ですから今も、ニュージーランド人の友達の前でも、息子とは日本語で話します。ですが中には、この私の姿勢を嫌う人もいます。

「日本語なんて教えてなんになるの、英語を教えなさいよ」

と面と向かって知人に言われた時には、さすがに凹みました。

これは、他人にいわれたことですから、凹みはしましたけれど私自身の信念に影響を与えるほどの強さは、ありませんでした。でも、同じことを例えば配偶者にいわれたり、家族にいわれたりしたら、その影響力は私の場合とは大きく違うでしょう。

だからまあ、はっきり言えば、子どもたちに日本語を伝えたいと思うのならば、周囲も巻き込んである程度「根回し」しておいた方が、自分自身もぶれないし後々穏やかかもしれないよ、ということです。

「根回し」の方法も、いろいろありますよね。
バイリンガル教育に関するポジティブな情報をいっぱい散らかしておく、とか(この手の考え方は現在のトレンドですから、ネットを叩くと英語でもたくさん出てきます)、日本のいいところをいっぱい紹介して、日本というあなたのバックグラウンドを「かっこいい」というイメージに仕立てておく、とか。折り紙とかポケモンとか巻き寿司とかも、結構使えるツールですよ。

11月 23rd, 2009

海外で日本語・実践編・まず最初に、なにをやりますか?

このところクモの巣だらけにしていたんですが、久しぶりにコメント頂いて、ちょっとやる気が出てきたところです。単純なヤツだ>私。

ところで。
Googleのアクセス解析によると、検索サイトを通じてこのサイトに来て下さる方は多くが、「海外 日本語教育」とか、「海外 通信教育」とか「あいうえお表 ダウンロード」とか、そういう検索ワードでお出でなんですね。たまに、「継承語」なんていう専門用語も出てきたりして。

以前も書いたことがありますが、つまり、そういう情報を求めている日本人の家族が、世界中に増えているのだなあ、と感じています。だったら積極的に情報のシェアをしようじゃないか、と思い立ったのが、もともとは海外生活&子育てブログだったここを、なんだかバイリンガル教育の巣、みたいにしてしまったきっかけです。

ま、息子も成長してしまって、幼児期のようなパンチのある子育てネタが減ってしまいましたからねえ。ネタに困って、ってところでもあったりしますが。

で、まあ、海外で親になった、と。
息子を日本語で育てることに躊躇や迷いは全然感じなかったのですが、実際の方法論が何もなくて、最初はちょっと、右往左往しました。で、活字系人間の常として、ネットでばんばん検索を掛けてみたわけです。

そしたら、意外とあるんですよね。そういう情報が。
そこで拾った情報の中の、知らない言葉や研究者の名前をキーワードにしてまた検索かけて、いくつか参考書を拾い出しました。日本に帰国したおりに図書館でぱらぱらめくってみて、これはいい、と思ったものを購入し、ニュージーランドに戻る、という感じで、いつの間にか結構な数が本棚に並びました。

私の場合は、バイリンガル教育の参考書に限定せず、読書教育や一般教育書の分野も探しました。なんて言うかな、日本語での読書量がカギになるんじゃないかな、って、最初から思っていたんです。根拠はなくて、まあ、ただの勘だったんですけど。

そこで、自分の勘にぴたーっとハマってきたのが『読み聞かせ』でした。絵本オタクの血も手伝って、そちら関連の本も読み漁りました。

そうやって集めた情報を、よくわからないまま自分の中に転がしておくと、実際の子どもたちを目にした時に、その『情報』が突然、化学反応を起こすことがあります。

そうか、このことか!

・・・って、ぱちんと箱のふたが開くような感じで、情報として持っていたものが、理解とかアイディアに変わるんです。そういうのをくりかえしながら、ここまで来ました。

だから、自分の体験から言うと、やっぱり最初は、情報を自分の中に取り込むことじゃないかなー、と思います。入れてないものは、出せないからです。

というわけで、私がここまでに読んできた参考書の一部を一覧にしてみました。(あまり参考にならなかったものは、省きました。)
どの本からも、学ぶことは沢山ありましたが、敢えて一冊、是非読んで欲しいと思うものを挙げるとしたら「クシュラの奇跡―140冊の絵本との日々」です。

画像はアマゾンへのリンクになっています。興味のある方は、アマゾンのサイトでレビューなどを参照してみて下さい。

クシュラの奇跡―140冊の絵本との日々 バイリンガル教育の方法―12歳までに親と教師ができること 異文化に暮らす子どもたち―ことばと心をはぐくむ 異文化に育つ日本の子ども―アメリカの学校文化のなかで (中公新書) バイリンガルの世界 えほんのせかい こどものせかい サンタクロースの部屋―子どもと本をめぐって 読む力は生きる力 絵本論―瀬田貞二子どもの本評論集 ことばの発達を促す手作り教材 心に緑の種をまく―絵本のたのしみ (新潮文庫) グランマの本棚から―親と子の100冊 (生活人新書)

滞英中の子供の言語発達―両親のためのガイド これは実践的です。
5歳から8歳まで―子どもたちと本の世界 『クシュラの奇跡』のドロシー・バトラーによるブックリスト。
子ども・本・家族 これもドロシー・バトラー。

11月 22nd, 2009

海外で日本語・続3「どうして日本語を伝えたいのですか」

このところ、年甲斐もなくIELTSの試験準備などしています。宿題に追われて忙しく、しばらく放置してしまいました。

しかし、そんなクモの巣寸前のブログでも、見つけて下さる方がいらっしゃる、というのは嬉しいものですね。ウェブの大きな特徴は情報の蓄積性だそうですが、それを実感しました。

前々回のエントリ海外で日本語・続2「どうして日本語を伝えたいのですか」に、ニュージーランドから見ればほぼ地球の反対側、ベルギーからママと呼ばないで in ベルギーの赤かっぱさんより、ご訪問、コメントを頂きました。ありがとうございました。

日本語にまつわる葛藤、は、海外在住で明確な帰国予定がない家庭にとっては、逃れられないものだと私は思っています。教えるか教えないかの葛藤に始まり、そこでどちらの選択をしても、なにか違和感のようなものが結局、親の側には残る。割り切れた答えに到達出来ることはたぶんなく、どこまで行っても100%になり得ない。

私の場合は、自分自身が『言葉系』の人間なので、子どもと日本語で話せなかったら自分自身が絶対に辛い、という確信に近いものがありました。だから最初の選択には迷いませんでしたが、以来8年間、壁にぶつかる度に、今なお自問自答を繰り返しています。どうして日本語を伝えたいのだろう、と。

言葉を伝える、という行為には、見える利と見えない利とあって、例えば将来、履歴書に「二言語が出来ます」と書ける、ということも、やっぱり、重要な見える利なのですよね。赤かっぱさんのブログに書かれていたファミリーネームのことしかり、うちの息子が黒い髪黒い眼をもち、遺伝的にニュージーランド人のような屈強な体は望みようがない、という現実、親の英語がちょっと変、という事実、どれも、結局子どもが選びとったものではなく、だけど子どもにとっては逃げようがない事実です。だから、子どもから見た時にその立場は、見方によっては『へこみ』、つまり不利益に映ってしまうこともあるでしょう。

そんな時に、『でも自分は二つの言葉が出来るんだ』という精神的、実質的な『でっぱり』を与えてやりたい、と思うのは、自然なことですよね。でも、その感情が何故『自然』に起こるのか、私には説明出来ません。

子どもが選んだわけではない不可逆な違いを背負い込ませる立場の私は、親の側から見た視点で、継承語教育は本能の成せる技だと信じることにしています。継承語を伝えることで、この社会ではマイノリティである立場の息子にある種の有利さを与えることが出来、それが息子の生存率を上げる助けになる、というか。種の保存の本能かなあ、と。なんだか、そうでも言わないと本当に、芯の芯のところは説明がつかないんですよね、どうしても。

ですが。子どもの側からすれば、日本語もやらされるなんて余計なお世話になりかねないわけで、ともすればかえって日本語嫌いにしかねない危うさが、いつもつきまといます。その辺のバランスの取り方が、鍵なのかな、なんてつらつらと考えたりします。

ご訪問くださった皆様、赤かっぱさんのコメントも、是非ご一読くださいね。

それから、このテーマについてはぜひ、今後ともコメントをお寄せください。
あなたは、なぜ、子どもたち日本語を伝えたいのですか?

9月 20th, 2009

海外で日本語・キーワードから見えてくる、あなたの不安

Google Analyticsでアクセス解析をとっているので、毎日このブログにアクセスしてくれた方の人数や、検索からお出での方がお使いになったキーワードなどの情報が届きます。(個人を特定するような情報、例えばメールアドレスなどは、あなたご自身が打ち込まない限りこちらには届きません。ご安心を!)

この検索キーワードに、ときどき、ちょっと気になるものが入っていることがあります。

数日前、

「継承語 親子 コミュニケーション 失う」

というキーワードでこのブログにたどり着いて下さった方がいらっしゃいました。
ずいぶん熱心に読んで下さったようでした。

私は、つい、考えてしまったのです。
もしかして、あなたは悩んでいらっしゃるのではないか、と。

そう、継承語を失う、ということは、特に親の側にとっては、本音で語れる言葉を使っての、子どもとのコミュニケーションを失う、ということに他なりません。

そのことが、子どもの心理状態に影響を及ぼす、という人も、少なくありません。

だけどね。どうか心配しすぎないで欲しいのです。
継承語を失うことで、すべてを失うわけではないのですから。

私も以前は、この言われている事実が怖くてたまりませんでした。
けれど最近は、もう少しリラックス出来ています。
コミュニケーションは決して言葉だけで成り立つものではなく、むしろ言葉以外の部分に負うところのほうが多いのではないか、と思いはじめたからなんです。

もちろん、継承語としての日本語を子どもにつないであげられるのなら、そのための努力が出来る環境にあり周囲の理解も得られるならば、やった方がいい、というのが私の立ち位置です。けれどそれがすべてではない、というのも、やっぱり真実だと思います。世の中に、真実は時にふたつ以上あり、ダブルスタンダードとして存在することで様々な考え方の多様性を育んで来た、という側面も、あると思うのです。

環境がどうしても整わない人も、いると思います。
あまりにも周辺に日本人が少ない、とか、
経済的に余裕がない、とか、
家族が賛成してくれない、とか。

環境を整えることは可能でも、その環境に身を置きたくない人も、いるでしょう。
自信がない、とか、
めんどくさい、とか、
辛い、苦しい、とか。

環境を整え、そこに身を置いたとしても、子どもが思ったように反応してくれないことも、あると思います。そして、言葉を習得する、ということに関する子どもひとりひとりの「特性」、つまり言葉を使う行為が得意が不得意か、というような子ども自身の特性に基づいて起こる反応のすべてまでもが『環境要因』に見えてしまう誤解も、海外では、よくあるような気がします。

まあはっきり言っちゃうと、環境要因が整い親がその気でも、それでもやっぱり伸び方がいくぶん鈍い子も、たぶん、いる、ということです。

では、そういった状況を通過して来た人たちは、『不幸』になるのでしょうか?

たぶん、違います。子どもたちはそれなりに悩みながらも思春期を乗り越え、アイデンティティの葛藤を経験しながらもやっぱり、普通に大人になってゆくのです。継承語を失うことは、残念なことではあるけれど、不幸なことではないのです。

そんな風に考えているとね、なんとなく

「ま、いっか」

と深呼吸出来たりもするんですよね。

ずっとずっとずーーっと常に「ゆるゆる」でいい、とまでは思いません。だけど、たまにはすこし「ゆるゆる」なほうが、たぶん、楽になることもありますよ。

9月 19th, 2009

フランスにおける国際結婚カップルの日本語継承ファクター

フランスにおける国際結婚カップルの日本語継承ファクター という論文を見つけました。

3.2.1. 日本人母親と子供の会話における言語使用状況
3.3. 日本語継承のファクター

などは、大変参考になります。

まあ、海外で日本語を子どもに伝えていこう、という意思の元に某かの活動をしている人々にとっては、経験的に思い当たることが多く、特に目新しい事実があるわけではありません。ですが、普段漠然と感じていることをきちんと言葉にしていただくと、なんか。すっきりしますね。憑き物が落ちたような、というか。言い過ぎかな。