以下のウェブサイトから、National Standardsに関する詳しい資料がダウンロードできます。
ページ右側の「Downloads」という囲みの中をクリックして下さい。
各学校の教員に配られたのと同じ内容です。
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このコラムの著者、西野弘氏が東大で講義を行った際、学生たちに
「勉強を楽しいと思っている人」
と問いかけたら、誰一人手を挙げなかったそうです。
スウェーデンの教育事情を踏まえた上での、日本の教育事情への厳しい提言です。読めば読むほど、日本では「教育」そのものがいかにないがしろにされているかが見えて暗澹たる思いにかられます。
ここで紹介されているスウェーデン方式が、すべて日本に当てはまるとは思いません。特に、人口の差は大きな要素です。900万人しかいない国の小回りの良さや国としての団結力を、1億2千万人の国に求めるのは無理です。それに、そもそも日本には、「団結すること」への根深い抵抗感があります。その一方で、意見の違うものに対する精神的な嫌悪感も相当なものです。
そのどちらもが、先の戦争の後遺症だとしたら、なんと皮肉なことでしょうか。戦後60年を経て、私たちは、無為に右往左往することしか出来ない国民になってしまったのでしょうか。
だからこそ、今、教育なのだとは思わないのでしょうか、永田町は。
私は常々、教育こそが世界を変えると思っています。そして「教え育てる」ことの基礎は、幼児期から学童前期に掛けて、家庭と学校施設の両方で育まれるものだ、とも。私はJapanz.Kidzという、子どものための日本語学習グループに参加していますが、このグループも原則親子参加です。親子で参加することに意味がある、と、思っているからです。
「考えることは楽しい」と、人生の早い段階で感じてくれれば、その体験は、その子が一生学び続けるための原動力になるはずです。
そうして、学びたいという意思を強く持った人には、学ぶ場を提供してゆくことで、20年、30年後には「強くかしこく、誇り高いニッポン」が出来上がる、と私は思います。でも、そのことをイメージ出来る政治家が、残念ながら日本には存在しないように見えます。
日本はもしかしたら、自分たちの未来を担う「学びの芽」を、日々、踏みつぶしているのではないでしょうか?